まつわらない話が好きで、いつも独立した言葉ばかりを話す人と付き合い始めて3ヶ月になる、そんな春の午前。西向きの家はまだ暗く、まるで時計の針が振動させているかのような、台所のテーブルの不確かさ。ぞっとするよりも、午後の陽光への期待のそんな午前、私は靴下12組と足拭きマットを洗濯した。BGMはrimaconaというインディーズバンドと、john cage(きのこ博士で近現代音楽の巨匠だ)空気はとても澱んでいて、気持ちがいい。
 花粉が飛散していた。
「今日は良い天気だねぇ、ピクニックにでも行こうか」
「どこに行くの?」
 私は後ろにいる誰かに問うた。
出町柳に行って、川沿いを歩いて、ふたばさんの豆大福を食べよう」
 私の家は阪急沿線だから、まず河原町まで出て、そこから四条に乗り換えたらいいのかしら・・・。春の祗園の石畳の柔らかさを、私は思い浮かべた。まるで太ももがマシュマロになるみたいな、柔らかな地面を。夜の祗園、仕出屋からかけ出る青年の腕の白さや、桜餅の甘い匂い、妖艶な香の匂い、鈴の音。
「それなら祗園にも行きましょうよ」
 そう言って振り向いた時には、誰かの姿はなかった。
 もこもこの脱水済み足拭きマットは、春の強風に重々しく揺れる。その重々しさ、老人の如く。made in indeia 素材・綿、アクリル? 飛散した花粉はすばしこく、そのマットにくっついていく。そうだ、その意気。私は踵を返し、部屋のなかへと来訪する。
「もうすぐ桜が咲くと、八坂神社は人で溢れ、出町柳には学生が溢れかえる」
 花の魔力。と誰かは言った。そんな誰かの言葉を反芻して、生きている。
 もうじき時計の針が正午を告げる。午前との別れの刻。でもまた明日になって太陽が生きていれば、午前に会える。私は春が大嫌いだ。小さな小さな虫が狂喜乱舞している公園の植え込み近くとか、外に出ても寒さを感じなくて済むサラリーマンの安堵した表情が嫌いだ。しかし。
 
 今日は誰かとピクニックに行く。そんな私の表情は、きっとゆるやかに安堵しているに違いない。


出町ふたば

L'ecoulement du temps

L'ecoulement du temps

In a Landscape

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